消費税率引き上げに伴う留意点です。

2014年の4月から消費税率が、5%から8%に引き上げられました。

そこで、今回は経営者の皆様に留意して頂きたい点について、取り上げてみたいと思います。

 

日本の会社は、3月決算法人が多いので3月決算法人を前提とします。

前期は消費税率5%、今年の4月1日から進行している当期は1年間丸々消費税率8%です。

 

<例>

前期と当期の業績は、全く同じであったと仮定します。

前期の年間の消費税額は、100万円(5%)とします。

 

当期の中間消費税額は、前期の年間額の2分の1ですから50万円です。

この50万円と言う金額は、5%時代の年間消費税額の2分の1と言う事にご注意ください。

この中間消費税額は、2014年11月末までに納付します。


そして、当期の年間の消費税額は、前期と業績が全く同じでも税率が8%ですので

160万円(8%)となります。


3月決算法人の場合、申告・納付は2か月以内ですので、

来年の2015年5月末日までに納付する確定消費税額は、以下のような計算式となります。


確定消費税額=年間の消費税額−中間消費税額


         =160万円(8%)−50万円(5%時代の年間消費税額の2分の1)


         =110万円

 

※上記の例のように、2015年5月に納付する確定消費税額は、中間消費税額に比べて

  非常に多くなることが分かります。

  これは、年間の消費税額が8%で計算されているのに対して、中間消費税額は

  5%時代の年間消費税額をベースとして計算されている為です。

 

  税率が変更された今年に限って言えば、中間消費税額よりも、

  来年5月の確定消費税額の方が多くなる確率が高い事にご留意下さい。

 

  また、中間申告は、仮決算により実額で申告・納付することもできます。

  この場合には、2014年4月〜9月の実績で消費税の中間申告を行います。

  8%で中間消費税額を計算しますので、中間消費税額と確定消費税額の差を

  少なくする効果が有ると思われます。

 

以上、非常に単純化した例でしたが、消費税率引き上げに伴って

あらかじめ留意して頂きたい点について取り上げてみました。

 

                                2014年8月7日 槻木記

 

 

 



源泉所得税 期限に遅れたしまったらどうなる??

お給料などから、天引きした源泉所得税。

翌月10日もしくは、

納期の特例の場合は、7月10日と1月20日が、

納税の期限です。


この税金、期限遅れには、

かなり厳しいペナルティーが待ってます。


1.遅れても、自分から納税したら
    ⇒  税額の5%

2.税務署の、通知がきてから納税したら
    ⇒  税額の10%  

   の、「不納付加算税」という罰金がかかります。

   (計算した不納付加算税が 5千円未満の場合は、免除)

 うっかり、1日でも遅れるだけで、これは厳しすぎる!

 ということで、

 @ 期限から1カ月以内に納税し
         かつ
 A 過去1年間、期限遅れがない

  なら、罰金はナシと、なりました。

 
 また、不納付加算税とは別に、

 期限遅れた分の、利息も課されます。

 利率は、なんと! この低金利社会で

 最初の2ケ月は、 2.9%
 2ケ月超えたら、  9.2%   です。

  (計算した延滞税が、千円未満の場合は、免除)
 
  
  罰金の税金は、
  
  税務上の、経費にもならないので、

  期限内の納税のご準備を、普段から心がけてくださいませ〜


               2014年7月9日  白池 記

源泉所得税の納期の特例

あっ!と言う間に、今年も半分が過ぎました。

半分過ぎたところで、給与関係事務が目白押しです。



まずは、給与から天引きした所得税の納税!



基本は、毎月翌月10日までに納税ですが、

10人未満の事業所であれば、半年分まとめて

年に2回の納付とすることも、可能です。



そのためには、

「源泉所得税の納期の特例の承認に関する申請書」

と、舌かみそうな書面を、税務署に提出しないといけません(-_-;)〜



この書面を出した翌月に支給する給与分から、

半年分まとめて、

上半期分は、 7月10日まで。

下半期分は、1月20日までに、 

天引きした源泉所得税を納付することになります。




この源泉所得税の納付期限の他に、

7月10日は、

労働保険料納付&労働保険申告書提出

年金事務所への、算定基礎届の提出  

の期限でもあります。


総務、経理担当の方、 お疲れ様ですぴかぴか(新しい)


         2014年7月2日 白池 記

領収証に貼る印紙。5万円以上から必要に!

いままでは、3万円以上の領収証に

収入印紙の貼り付けが必要でしたが・・・・


今年の 4月1日から、

5万円以上に、変更になりましたicon14



皆さん、印紙の貼りすぎにご注意くださいね。


ちなみに、基準は税抜き金額ですので、


本体金額が、5万円未満であれば印紙は不要です。


ただし、消費税額・本体価格が

ちゃんとわかる領収証でないといけません。


本体価格が5万円未満の、税込価格の上限は、

53,998円 ですが、

この場合なら領収証に、

領収金額 53,998円   内消費税額 3,999円 本体価格  49,999円

と明記しておきましょう〜


ひと手間かかりますが、

それが節税への近道だったりしますicon12〜 

 

                                 214年4月4日 白池記


消費税率、今日から8%

いよいよ、本日から消費税の税率が、8%に引き上げられました・・・


ビジネスの世界では、

カタログや値札の表示変更、販売請求システムの変更等々・・・

例年より大幅増しの、多忙な年度末だったのではないでしょうか?


自社サイトの料金表も、変更が大変ですね!

価格は、ビジネスのもっとも大切な情報の一つですから、

サイトのあちこちに、価格記載は散らばっていますし・・・


平成27年10月に可能性のある、10%への引き上げを考えると・・・ 

いろんな意味で、げんなりしますね。


価格表示に関しては、事業者のテマを考慮し、

昨年の10月から期間限定で

「税抜表示」が特別に認められています。


本来、本体価格10,000円の商品であれば「10,800円」という具合に

消費税分も含んだ「総額表示」が義務付けられていましたが、

平成29年3月31日までに限って

「10,000円(税抜)」という表示も認められています。 

(但し、税抜表示であることを、明瞭にする必要があります)


 変更のテマは省けますね・・・
  
 けれども、お客様の立場になって、どちらを選択するか、

 よーく検討する必要はありそうですね・・・

 

               2014年4月1日 白池 記

扇町公園の桜 2014年

はやくも、4月です

大阪市北区の扇町公園の桜も、ほぼ、満開です。

この公園が、1年で一番にぎわう瞬間ですね。

2014年扇町公園の桜.jpg

東南アジアでは、日本の桜が大人気。

今年の年始に滞在したタイでは、桜模様の日用品や雑貨が溢れてました。


桜を背景に記念写真を撮る為だけに日本にきた

シンガポールの新婚カップルがテレビで取り上げられてましたが、

桜を愛でる心情は、万国共通なんですね〜                    2014年4月1日 白池 記


大好きな夏の行事 {高校野球}

一番好きかもしれない、日本の夏の伝統行事の真っ最中icon01

あっ・・・ お盆じゃないです。高校野球ですicon12

高校野球は、私の涙腺のツボ刺激のbPのうちの1つ!(他に2つ程ある)

今年なら、昨年春夏連覇の大阪桐蔭の主将が重責を乗り越え

全員で優勝旗を返還したあの行進での誇らしげな顔のアップだけで、

目の蛇口全開!!

無名の高校が強豪校を破ったら、

別に親戚の子が出てるわけでもないのに、もう涙腺ゆるゆる・・・


何故なんでしょう? 

もちろん他のスポーツも素晴らしく大好きなのですが、

高校野球は、なんか特別。 

子供の頃から見てる光景だからかな?

あの変わらない清々しさ・爽やかさは、

おばちゃんも安心できるから?(笑)


ただ・・・最近は、高校野球のありかたを巡って問題点も指摘されてますね。

未来ある選手の身体を摩耗してしまうような、試合日程等々・・・

最近多くの日本人選手を受け入れているアメリカでは、

日本の練習に対する観念にも、疑問を呈してるようです。


ますます米メジャーを目指す選手が増える今後は、

変化を受け入れることも大切になってくるのでしょう〜


これは、狭くなった地球で生きる、

我々現代社会人にも通じることかもしれません。


いずれにせよ、猛暑の甲子園での試合は、

いくら体力有り余ってる高校生でも考えもん。


大阪人としては、大阪ドームでの開催を提案しますが・・

あかんかな?

 

                 2013年8月13日 白池 記

夏の思い出 −税理士試験ー

ギラギラの太陽・蝉の鳴き声・・
8月の空を見たら、ついつい思いだしてしまう、息苦しい思い出。
そう!税理士受験時代。

今年も、税理士の国家試験が、今週6日〜8日に実施されるようです。

私は、この息苦しい夏を、8回も迎えてしましました。 
5科目クリアで合格のこの国家試験では、
8回は平均のようですが・・・

今迄 40ウン年の人生で8年間といえば、かなりの年数でございます。

なので、無事に解放されてから11年経った今でも、
8月に入ったら一瞬、焦燥感が蘇ってきてしまいます。

一言一句暗記する税法や、絶対制限時間内では終わらないように
作問されてる計算問題など、あまりに過酷に感じたので、
この一番厳しい暑さの季節に試験を実施することも「イジメ」ちゃうか?
と、悲壮感でいっぱいになっていました。

こんな散々な記憶を、私の人生に埋め込んだ受験時代ではありますが、
今では、この体験に感謝してる自分がいることに驚きます。

まずは、今は何があっても「受験時代に比べたら大丈夫!」と、
そうとう打たれ強くなってること。

そして、失敗した年は、失敗すべくして失敗してることが理解できたこと。
やはり、落ちた年は「仕事が忙しいから時間が無い」などと
言い訳が多く、やるべきことを100%やっていなかったのです。

結果がでるように正しい努力をしなければ、絶対結果はでない
ということも、受験を通して知ることができました。

そんなこんなと思いをはせつつ
「今こうして仕事できててよかったあ〜!」と、
結局は、仕事終わりの美味いビールで幸せになる、8月なのでした。

                2013年8月5日 白池 記

ヨーロッパ(フローラ・ルイス)後編

ヨーロッパの債務危機の国を総称してPIIGSと言います。

ポルトガル・アイルランド・イタリア・ギリシャ・スペイン
の国名の頭文字です。

 

私は、このヨーロッパと言う本を読んで、

ヨーロッパの現在の状況を学ぶ事ができました。


フローラ・ルイス女史は、2002年に亡くなっていますが、彼女の書いた本が正しければ
ヨーロッパは、なおしばらく停滞を余儀なくされると思います。

 

優れたジャーナリストとしての彼女の感性は、
ヨーロッパの個々の国々の現在の姿を、その瑞々しい感性で描き出すと共に、

読後感としては、共通通貨ユーロの前途は暗いと思わせるものでした。

 

それは、ヨーロッパ各国の個々の国々の今を、柔らかく行き届いた感性で
表現する事によって、ヨーロッパ連合は、共通通貨ユーロを採用しても

単一の価値観のヨーロッパではなく、
はるかな昔から続いている伝統的な秩序を重視する国と、新しい事象への挑戦を重視する国とが
混じり合った単一の価値観ではない混合体である事を、淀みなく表現していると言う事でした。


この本によれば、PIIGSは、近代化を推し進めても、

中々伝統から抜け出せない国家群であると、読み取る事もできます。

 

日本のメディアでは、元気のあるヨーロッパを北部、
元気の無いヨーロッパを南欧と言う言い方をしています。

 

元気の有るヨーロッパの代表であるドイツ。
国家に依存しない(あるいは統一国家を歴史的に持たない)で、近代にまで
辿り着いたドイツ人。彼らの置かれていた状況を、よく表すのは、
次のゲーテの言葉だと思います。

「ドイツ人よ、国民になろうなどと望んでも無駄だ。その代わりにより自由な人間に自分を
育てあげることだ。これならできるだろう」

ドイツは、イギリスやフランスなどと違って、長い間、政治的には一国の体を成してはいなかったのです。
そんな自国の状況に絶望して、新天地アメリカへ移民したドイツ人が最も多かった時代が、
日本の明治維新前後です。

 

南欧の代表であるスペイン。世界史を勉強した際に、栄光の大航海時代には、
ポルトガルと世界を分け合った国と学びました。その後、無敵艦隊が
イギリスに敗北して以降、歴史教科書から殆ど、姿を消してしまっていた事が不思議でした。

けれども、フローラ・ルイス女史の本を読んで、その後の概略を理解する事が出来ました。
一言で言えば、スペインを含むPIIGS諸国は、伝統的な価値観をその後もずっと持ち続け、

近代的な体制への移管が進まなかったと言う事です。

 

彼女の言葉で言うと、イベリア半島の国(スペイン・ポルトガル)は、
「現代ヨーロッパのどん尻」を歩いている、と言う事です。
またスペイン人、ポルトガル人自身が、その事を最も痛感していると言うことです。

 

私は、フローラ・ルイス女史の「ヨーロッパ」と言う本を読み終えて、

即座に二人の人間を思い浮かべました。
一人はドイツ人、一人はスペイン人。そして彼等の思考習慣が、密接にその国の
歴史と関わり合いが有る事に、衝撃を受けました。

 

ドイツ人ギーノ、彼に出会ったのは、1,991年の秋、高知駅前のユースホステルでした。
坂本竜馬ファンの私は、桂浜の竜馬に会うべく、ユースに宿泊しました。
宿泊した翌日の朝、白人3人と挨拶を交わしました。その内の一人が、ギーノでした。
その日、彼らと観光を一緒にする事になり、彼らと親しく過ごしました。
ギーノは、関西に行く予定だと言うので、連絡先を告げて別れました。
そして関西に来た時に、連絡をくれて、私の実家に数日滞在しました。
彼との日々は、新鮮で刺激的でした。以下は、彼との対話です。

私「知らない国を旅して、何が面白いの?」
ギーノ「新しい事と出会える、それが自分にとって何より刺激的で新鮮なんだ。」

私「では、知らない国を旅して、気をつけなければならない事は何?」
ギーノ「出来るだけ地味な服装をする事だよ。そして、その土地の人々に敬意を払う事。」

彼は、本当に、新しい事を楽しんでいました。
そして、異国での心得も的を得ていると思います。
事実、彼の服装は、グレーのトレーナーに黒のジーンズで、日本に馴染んでいました。

 

関西の最初の日は、難波で落ち合いましたが
当時の普通の居酒屋で、晩御飯を食べました。冷奴を頼んだ彼は、感動しきっていました。
感動のあまり、目が半分充血している彼に、どうしたの?と問うと、
「ドイツでは、こんなにしっかりした豆腐は食べた事がない」と感動してくれていました。
冷奴ですから、きぬこしで、日本人には、ごく普通の食感だったと思います。

私の実家に泊まった翌朝、家人が目を覚ますと、彼は居ませんでした。
せっかく、日本人の住居地域に来たのだから、散歩してみたいと思ったのでしょう。
何時まで経っても、彼が帰ってこないので、どうしたんだろう?と、みんなが
気を揉んでいると、彼からの切羽詰った電話が有りました。
「僕は今どこにいるんだ?!!」散歩が凄く面白かったので、色々歩いている内に、
道に迷ってしまったと言う事でした。「近くに青い小売店が有る!!」と言ったので
ローソンの近辺に居ることがわかり、無事見つける事ができました。

「かまぼこみたいなホテルが有るだろ?あれに泊まりたい。」
カプセルホテルの事でした。そして、すぐに彼は実行し、刺激的だった
と言って喜んでいました。ヨーロッパ人に有名なゲストハウスが京都に
有るので、そこに泊まりたいと言って、またすぐに実行しました。
彼の感想は、「特に何も感銘は受けなかった」と言うものでした。

アメリカの映画を見に行くと、横でゲラゲラ笑っていました。
聞くと、スラング(俗語)が凄過ぎて、半分くらい英語が
聞き取れなかったからだ、と言っていました。

アメリカ人やイギリス人やフランス人が、世界中の人が、自分の国の言葉(英語・仏語)を
話すべきだと思っているのは、とても愚かな事だと言っていました。
どの国にも、固有の文化(言葉)があり、それを否定するのは、愚かな事だと言う事でした。
現代ドイツ人ならではの感性だと思います。

パリで道に迷ったなら、フランス語が話せないと、迷子になるよ、とも言っていました。
これは、共通通貨ユーロの盟主であり、EUの創始者でも有るフランス人気質を
考える上で、重要な指摘だと、今更ながら頷かされます。
もし現在もそう言う状態なら、大部分のフランス人は、他の国の人達と関わりを持たなくても、生活ができる仕組みになっていると言う事なのだと思います。

ドイツでは、誰でも大学に入学する事は、できる。だけど、進級するには、大変な努力が必要なんだ。

とも言っていました。
教育先進国ドイツは、そうなのかと思いました。

一人で気軽に飲みに行ける様な所が、日本には無いのが残念だと言いながら
大阪梅田の阪急東通商店街の喧騒には、雄叫びを挙げていました。
ドイツ人ギーノは、実証精神に溢れ、新しい事との出会いに喜びを見出す人でした。
同時に優しく繊細な心の持ち主でした。

日本では、風呂上りに、丹前を着るんだよと言うと、ジーンズを履いたままで丹前を着て
夕食を食べてくれました。おでんには、和風からしをつけて食べるものだと言うと
洋風からしのマスタードと同じように和風からしをたっぷり塗ったので、
「待って、それは辛すぎるよ」と言う制止を聞かずに、食べて
涙をボロボロ流しながら、「すごく美味しい」と、言ってくれました
実家の2階に寝ていた彼は、夜寝静まった後に、1階の便所に行く際には、
出来るだけ音を出さないように、階段を降りてくれました。細やかな彼の心に触れて
最初、私が白人の大男を連れてきた際には、怖がっていた家人も
すぐに、私以上にギーノに親近感を持つようになりました。
また、阪神・淡路大震災の時には、心配していち早く国際電話をかけてくれました。

ギーノと街を歩くのも、私には刺激的なものでした。
曰く、夜遅くまで働く日本人を見て「なぜ、こんなに日本の人は、長時間働いているのか?」
   電車のホームでは「公共交通機関が、どうしてこんなに正確なんだ?素晴らしいよ。」
   等々、ドイツはそうじゃなかったの?と思う事が多くて、刺激的でした。

異国の人と交流するのは、話をするだけでも大変刺激的です。
なかでも、以下の対話は、とりわけショッキングでした。

私「東ドイツが無くなって、ベルリンの壁が取り払われて、ドイツが一つになって良かったね。」
ギーノは複雑な表情を浮かべて「統一ドイツ政府は、旧東ドイツ国民に、当座の生活資金と、

資本主義社会で生きていくための技術取得資金として、一人につき200万円を支給したんだ。

それが、どのように使われたと思う?」と言いました。

私「わからない・・・」


ギーノ「東ドイツの人は、新しい車を購入して、それで終わりなんだ。」と言いました。


彼等にとっては、仕事は国家があてがうべきものであると言う認識が有るから仕方ないと、言いました。
つまり、旧東ドイツ市民にとって、仕事は待っていれば、いずれあてがわれるものだ、

と言う認識だと言うのです。
国家体制と、人間の思考習慣には、重要な結びつきが有ると、彼の話から、初めてそう思いました。

 

現在でも、旧西ドイツ地域と旧東ドイツ地域の経済格差は、かなり有るようです。
統一後、旧東ドイツでも、ドイツ人なのだから、

すぐにでも自由主義社会に順応できるだろうと言う楽観論は、
すっかり影を潜めて、現在では2世代くらいは、時間がかかるだろう、

と言った見方が支配的だとフローラ・ルイス女史は言っています。

 

スペイン人エミリオ、彼と出会ったのはインドのダージリンでした。
格安なゲストハウスが集まる山の集落の中に有る、たまり場のレストランでした。
そこには、色んな国籍の人間がたむろしていました。アメリカ・アイルランド・ドイツ・

ケニア・イギリス・韓国・オーストラリア等々。
日本の大学で4年間学び、マドリードの企業に就職が決まっていると言うエミリオは、
その中にあって、独特の存在感が有りました。


彼は、事ある毎に、こう言いました。「僕は、宗教的な事以外には、興味は無いんです。」


インドの中でも、過ごしやすく又治安も良いダージリンは、

他の気が抜けないインドの地域を旅してきた旅行者にとって
はめを外して、ホッとしたくなる場所です。

そのレストランで、度々他の旅行者がはめを外すような事があっても、
エミリオは、片隅のテーブルで静かに、紅茶を飲んでいました。
彼が、身を乗り出して話に乗ってくるのは、決まって宗教の話題の時でした。
そして、宗教の話題から話がそれると、「僕は、宗教的な事以外には、興味は無いんです。」

と言ってテーブルの片隅に戻っていくのでした。

彼の言動と行動は、まさしく一致していました。


ダージリンからカルカッタ(コルカタ)まで、エミリオと行程が一緒だったのですが、
ダージリンでは、彼は、チベット仏教のお寺に日参していました。
そしてカルカッタでは、マザー・テレサの死を待つ人の家(ニル・マル・ヒリダイ)に日参していました。
毎日が篤信的でない普通の日本人の私は、ダージリンからの長い知り合いで同じ宿で過ごしても、

彼とその後も、あまり親しくなる事は有りませんでした。

一方で、エミリオの頑なさは、
日本人の気質とも通じるものが有り、親近感を抱いていたのも事実です。
かたくななだけで、根っこは気が良くて、敢えて言えば、生真面目な中学校の理科の先生

のような印象をエミリオには、持っています。


イベリア半島は、「底の底までローマ・カトリックの国である」

とフローラ・ルイス女史は言っています。
エミリオは、信仰に篤いスペイン人だったと、思います。

 

私は、幸運にも世界中の殆どの著名な宗教の人の家に泊めてもらいました。
その中でも、ローマ・カトリックを信奉する方々とは、とりわけ縁が深く
その人達と交流させていただいた事が、今でも生きる力となっています。
他者への思いやりに溢れ、本当に素晴らしい精神性を持たれていると思います。

 

第二次世界大戦後に、ドイツが奇跡の経済復興を遂げると、歴史学者や経済学者は、
色んな理由を並べ立てたそうです。でも最後には、

そこに住む人間の問題だと言う事で落ち着いたそうです。
ドイツでは、資格制度(マイスター)が古くから発達していて、

熟練の人々の技術や合理的な思考方法は、
2度の世界大戦の惨禍を経ても、変わる事が無かったと、フローラ・ルイス女史は言っています。

 

国家に希望を持てなかった人々は、ゲーテが言うように、自分を鍛え上げ、
希望が持てない古い体制(国家)よりは、新しい事象(自分の資格所得や技術習得)に

前向きで、そうする事が生き延びる術だった、と言う事でしょうか?

 

旧東ドイツ国民数千万人を受け入れ、今でも経済は堅調で
かつ、「ドイツは、今後もユーロを支え続ける」と近隣ヨーロッパの国々が一致して
考えている事自体、ドイツは、まさしく「不死鳥」なのだと思います。フローラ・ルイス女史の
タイトルの付け方(不死鳥と灰)に、感銘を覚えます。

 

スペインについては、フローラ・ルイス女史は、一つの国家の中にある地域的多様性と、
遅れた国家が、近代化して行く事への困難さ、を描いています。
1,975年のフランコ将軍の死後以降、スペインは、急速に国際社会に復帰します。
(彼が死ぬまでは、ヨーロッパ社会から、村八分にされていた。)
その過程の困難さを、次のように言っています。
「昔ながらの物の考え方を変えていくのも、大仕事だった。」
「長年に渡って続いた貧困の産物である思考習慣を打破する為にも、鍵となるのは経済であった。」

等々


つまり、新しい事ではなく、過去へ回帰していく思考習慣が主要な問題の一つであった、

と彼女は言っているのです。

 

誤解を恐れずに言えば、ギーノは、ドイツ的土壌から生まれやすい人間像で、
エミリオは、スペイン的土壌から生まれやすい人間像と考える事も出来ます。
私は、この「ヨーロッパ」と言う本を読んだ時に、今ある形を変えていこうとする
前進的なヨーロッパよりも、今ある形を維持しようとする
保守的なヨーロッパの方が多い事に、言いようも無い
親近感を覚えました。日本人も保守的な風土の中にいて、
同様に世界中の大部分の人々は、保守的風土の中に生きていると言う事に親近感を覚えました。

 

しかし金融危機を経た今、世界の様相は、否応なしに変わってきています。
その激変に、いち早く対応し、国内でやるべき事は、すべて終えている国は、

大国に絞って言えば、ドイツとアメリカです。


この二つの国は、国家の関与を嫌う(あるいは国家に期待していない国民性)

と言う事で共通しています。
個々人の自由な思考を尊ぶ思考習慣とも言えます。
伝統的なヨーロッパを打破しようとする、前進的なヨーロッパ(アメリカも含めて)。

そのエネルギーが、世界の近代史を動かしてきたと言えるのかもしれません。

 

統一通貨ユーロの一方の盟主であり、ゆるぎないパリへの中央集権国家である

フランス経済の深刻な現状を見ると
前進的なヨーロッパ(アメリカ)が、今後ますます、優勢な世界となっていきそうな気配です。

 

世界中の伝統を重視する国は、今後も右往左往しながらノロノロと、

前進的なアメリカやドイツ等の国の後を、遥か後方から追う事になりそうです。

 

アメリカ発の金融危機後の状況は、一方でアメリカ、一方でドイツが有利な状況になっています。

 

私自身のの職域の一つである会計の世界を取ってみても、

世界の先進地域は、アメリカ・ドイツそしてイギリスです。

 

しかし経済的には有利であっても、精神的な面で幸福かといえば、

必ずしもそうではないようです。

 

ドイツ人ギーノは、梅田のバスターミナルで、空港行きのバスを見送る際に、

「禅、仏教徒の心」と言う英語の本を
私にプレゼントしてくれました。

 

私が、宗次郎の「日本の歌、心の歌」と言うCDを
プレゼントした事に対するお返しでした。

彼も、日本への色んな関心の一つに、宗教的関心を持ってくれていたようです。
そして彼はしきりに、「多くのヨーロッパ人は、抑圧されている」と繰返し言っていました。

 

また、まったく別の人物ですが、前進的なヨーロッパと言う事で共通するノルウェーの

オスロ在住の初老の旅行者、
彼とは、インドのゴアのバスコ・ダ・ガマで同宿しました。
お酒が進むにつれて、彼は、くだを巻き始めました。
「ノルウェーは、家族に冷たい。アジアは、家族同士が暖かい。だから、その温かみが好きで
僕は、この年になっても、一人でこの地域を旅し続けているんだよ。」と。
泣き上戸の彼を、介抱するのが大変だった記憶が有ります。

 

前進的な地域の人々も、心の面で大変さを抱えているようです。
その地に居住した事がない私には、何故なんだろう?

と想像力を膨らませるしか有りませんでした。
でも、彼等との交流を通じて、ヨーロッパが夢の国ではない、と言う事は、理解できました。

 

最後にフローラ・ルイス女史の出身地であるアメリカ。
アメリカが、幸運な国であったと言うのは、次のゲーテの言葉が、表していると思います。

「合衆国に」
  
アメリカよ、君は
われわれの古い大陸より具合がいい。
君は、崩れた城も
玄武岩も持たない。
心の中で
活気づいた時に、
無益な思い出や
むなしい戦いに妨げられもしない。

                      ゲーテ

アメリカは、ルソー・モンテスキューと言った当時のヨーロッパの思想家の

近代民主主義精神を携えて、古い伝統の影響を受けずに
建国した国、と言うのが、ゲーテの言葉から伺えます。


従って、アメリカは、ヨーロッパよりも自由で、ヨーロッパの親戚なのですが
ヨーロッパより進歩の速度が速い国と言うことができます。

 

そのアメリカ的な自由さの極致に、巨大なグーグルと言う会社が有ります。
「世界中の知の再構成を行う」
こんな社是は、聞いた事がありません。
ここにも、伝統を打破しようとする、自由な思考習慣が有ります。
グーグルやアップルと言ったアメリカのITの巨頭は、
成熟国ではなく、新興国に目を向けていると言います。
それは、今までパソコンを持たなかった新興国の人に、グーグルやアップルファンに
なってもらって、クリックしてくれれば、広告収入につながると言うものです。
新興国の人口数は半端ではなく、「量が質に転化する」と言う戦略のようです。

ITと言う意味で、世界は、益々フラット化(均一化)していくのでしょう。
今、新興国の下町で夕方、中高生が集まっている店と言えば、

i-phoneの店かgalaxyの店です。

 

フラット化は、伝統的な社会(成熟国)に生きる人々にとっても、変化です。

 

ドイツ人ギーノは、ドイツ統一直後の困難な時期でも、新しい事に対する積極性を失わずに
変化を、楽しんで生きているように見えました。
良い事ばかりではなく、その後、職を変えた後は大変な思いをしている、

と言う手紙も受け取りました。
彼とのやり取りを通してですが、ドイツは、国家も、個人も流動しているように感じます。
現在でも、ドイツはユーロ圏の他の国を支援し続けるのか、どうか?

と言った世界的な命題をつきつけられています。

 

これから未来にかけては、益々変化していく時代です。

そうであるなら、日本の若い人達にも、ギーノのように
その変化を積極的に、楽しんでもらえたらと思います。

 

フローラ・ルイス女史の「ヨーロッパ」と言う本は大変素晴らしいと思います。
これほど行き届いた鋭敏な視点で、平易に現代のヨーロッパを、紹介した本は、
しばらくは出ないのではないか、と思います。

 

ヨーロッパの債務危機からも分かるように、ヨーロッパには、でこぼこが有ります。
そのでこぼこの理由を分かりやすく説明してくれているのが、「ヨーロッパ」と言う本です。


ヨーロッパを理解する事は、先進地域である欧米を理解することに繋がると思います。


経済や金融に限らず、いろんな意味での指針となると思いますので、

是非若い人達にお勧めしたい本です。

 

                               2013年7月13日 槻木記

 

 

 

 

確定申告時期無事に終了!!

今年も3月15日(金)で、確定申告時期の申告書作成作業が無事終了しましたface02


これから、ご報告の業務が中心になります。

税額計算・申告書作成は、もちろんデリケートな作業なのですが、

このご報告業務は、さらにデリケートです。

個人事業で、お商売をされてるお客さまにとって、

確定申告の結果は、いわば・・1年間の総決算・・・

お客様のお仕事のすべてなのですから。


税理士という仕事・・数字ばかりとにらめっこしているイメージですが、

実は、とてもひとさまの深いところに接する、ハートフルなお仕事です。

この学びの多い仕事に、感謝!!

 

           2013年3月26日 白池 記

復興特別所得税

今年1月から、個人の所得税に、復興特別税が摘要されます。

従来の所得税の2.1%が、復興税として加算されます。

自営業など確定申告される方は、来年の3月に提出する分からです。

が、お給料や講演料などから天引きされる金額が、1月分から早速変わります。

給与から天引きする分は、1月分からは、

25年以降版の源泉徴収税額表を参照してください。


講師料や原稿料などから天引きする所得税も、2.1%加算になります。

例えば、
88,888円の報酬で、80,000円の手取りだったのが、
79,813円の手取りになります。

100,000円の報酬で、90,000円が手取りだった場合は、
89,790円の手取りとなります。


やたら端数がでて大変ですねicon10

今年から、25年間にわたって継続されます(ながっ!)

復興予算の使途について、目が点になるような内容がやたら

目につきますが・・・真に被災された人に手に行くと信じて・・・

 

             2013年1月24日 白池 記

えべっさん

えべっさん.jpgえべっさんにお参りしてきました。

子供の頃から行ってる「玉造戎様」はあまり知られていないのか、

参拝客もまばらで、ご利益も濃ゆそうです。

福笹には宝くじ券がついていて、ガラガラの抽選ができるんですよ!(私は、5等のごみ袋をゲット)

小判に隠れているのは大福帳!帳簿ですね!

帳簿にたくさん記録が入るよう、昔の人も祈ったと思うと、会計人としては嬉しい気分です。

2013年1月9日 白池

トルコとギリシャの過去・現在・未来

オリエント(東洋)とヨーロッパ(西洋)を分ける境目、それがトルコとギリシャです。

 

オリーブオイルたっぷりの食事を好み、酒はラク(ギリシャではウーゾ)を好む。

共に温暖な地中海に面し、食習慣においては、トルコとギリシャは近しい関係です。

 

地理的に西ヨーロッパから離れていて、西洋から遅れている事を痛感し、

伝統的な生活習慣を色濃く残しながらも、西洋的な近代国家を目指している国。

ここでも、トルコとギリシャは、同じような国家像を目標としているようです。

 

極端な例(アメリカとメキシコのような例など)を除けば、

地続きの国は、同じような歴史的位置にいると考える事ができます。

 

近隣の国同志は、相互に影響を受けながら

多少の時間のずれは、ありながらも、同じ様な過去・現在・未来を

辿っていくものなのではないでしょうか?

 

私は、インドから陸路で西へ西へと向かう旅をした事があります。

 

トルコとイランの国境の町、トルコ東端の町ドゥバヤジット。

 

私が、波乱に満ちたイラン国境を超えて、トルコで最初に辿り着いた町が、

ドゥバヤジットです。

 

トルコ領内に入り、最初に出会った人が、発した第一声は、

「私たちは、トルコ人ではない」と言うものでした。

 

「またか・・・」と辟易とする気分でした。国境近辺を旅する度に、

このような言葉を聞かされていたので、「どれだけ、紛争が有るのか・・・」

と、正直ウンザリした気分になりました。

 

勿論、彼等にとっては、それが民族のアイデンティティとして当然の主張なのだと思います。

それは、トルコの少数派として、今後も生きていく彼等にとって、核となる部分なのだと思います。

 

ドゥバヤジットは、旧約聖書のノアの箱舟が辿り着いた山として、有名なアララト山の麓の村です。

シルクロードの典型的な宿場町で、城壁以外に取り立てて何があるわけでも、有りません。

町と言える規模ではなく、村と言う感じが近いです。

それだけに、町の人々は、旅人に総じてフレンドリーに接してくれました。

 

アララト山は、美しい山でした。アララト山の麓には、延々と平原が続いていて、

最も通りやすい場所に道(シルクロード)があり、そこに宿場町が有ると言う構成でした。

 

到着翌日の昼食後、シルクロードを散歩しました。どこまで歩いても、

雄大なアララト山が左手に見えていました。街道とアララト山を隔てるものは、

どこまでも続く平原でした。

 

私は、街道を離れ、美しいアララト山にどこまで近づけるか試してみたいと思い

アララト山への最短のルートを歩き始めました。

どこまでも続く平原を歩く内に街道が見る見る遠ざかっていきました。

 

どこまで歩いても続く平原とアララト山の風景でした。

アララト山の美しさに呑まれて中腹位までなら、登れるのではないか、と思い始めていました。

ふと、前方に、人間が動いているのと同時に、木作りの建屋が目に入りました。

人が、町から遠く離れた何も無い所に住んでいたのでした。

 

瞬間的に思ったのは、「水はどうしているのか?」という事でした。

付近には、川などはなく、町からは、遠い場所です。

建屋が木作りで、定住型の建屋だったのでロマ(ジプシー)の人達では、

ないと思いました。

 

たちまち子供達が、私の周りに集まってきました。

いきなり、私のリュックのありとあらゆる場所に手を突っ込み始めました。

親は、建屋から出て、こちらを見ていました。これには、驚きました。

これほど、あからさまに子供にやらせる親を見た事が無かったからです。

 

大体、子供におねだりさせている親は、ひっそりとその様子を見守っているものです。

 

子供達を、リュックから振りほどくと、子供達は、私に石を投げてきました。

威嚇の為に投げ返すと、子供たち全員が、私に、石を投げ始めました。

よけきれるものではなく、石は当たり、ただただ、自分めがけて投げられる石は痛いものでした。

 

ただし・・・子供たちが本気で投げていたら、あるいは親が加勢していたら、

私は無傷では済まなかったでしょう。

 

ドゥバヤジットの少数派の人々は、自分達以外の人間と交流して、これまでに、

ろくな事は無かったのではないかと、事件が一段落した後に想像しました。

 

ともあれ、私は、石の集中砲火から逃げるように平原を彷徨いました。

すると、犬が仲間を呼ぶ雄叫びが、いきなり近くで聞こえました。

視界には、屈強そうな犬が間近で4匹、遠方の方からこちらへ向かう犬が

4匹認識できました。たちまち8匹の犬に囲まれました。

1匹と闘って勝てるかどうか、の犬の大きさです。

かろうじて、近くの崩れかけた土塀によじ登りました。

なす術は有りません。

 

インドのブッダガヤで、多くの犬に囲まれて、

手に持った石で犬を追い払いながら、塀で一晩過ごしたと言うドイツ人の

友人の話が、親近感と共感を持って、迫ってきました。

 

私に石を投げて来た子供達や親は、遠巻きに事態の推移を見守っていました。

崩れかけの土塀から後ろを振り返ると、200メートル程先に

巨大な建物が立っていました。トルコ国軍の国境軍事施設でした。

 

完璧な武装をした兵士3人が、私を見ていました。

人だ!と思い助かるかもしれないと考えた私は、彼等に手を振りました。

しかし、彼らは、軽機関銃を手にしたまま、微動だにしません。

あくまでも任務を遂行すると言う迫力が全身を覆っていました。

私は、トルコ人ではなく、胡散臭い格好をした異邦人で、

胡散臭い場所(国境近辺)に侵入してきた人間でした。

 

危機は、気がついた時には、間近に迫っていると実感しました。

他に打つ手が無く、どうしようもない私は、長期戦の覚悟を

しました。何か戦術が有る訳ではなく、ただ土塀の上で

立っているだけでしたが・・・。

 

すると、どれ程の時間が過ぎたのでしょうか?

なぜか、犬の包囲網が解け始めました。後ろを振り返ると

兵士達は、相変わらずヘルメットの下の表情は読み取れず、

無表情なままで軽機関銃を何時でも使用できるような態勢でいます。

 

犬が、50メートルくらい遠ざかった時に、勇気を持って土塀から降りました。

街道に出るまでは、生きた心地はしませんでしたが、無事に宿に戻る事が出来ました。

ドイツ人の友人との違いは、犬が凶暴になる夜ではなく、

昼だったという事が幸運でした。

 

トルコ東部(アナトリア)は、山に囲まれた乾いた大地が

延々と続く風景でした。私はこの、アナトリアの風景が好きです。

アナトリアの風景は、トルコ(クルド人)の名匠ユルマズ・ギュネイ監督の

映像の美しい風景そのままでした。私は、彼の映像の再現を

視るような錯覚を覚えながらアナトリアの風景を眺めていました。

 

またアナトリアの音楽も私は好きです。どこか似ているなと思ったら、

ネパールの音楽と似ていました。アナトリアは、重厚で哀愁漂う音楽、

ネパールは、あくまでも明るい音楽。曲の気分は違うのですが、

山を超え、天に向かって突き抜けるような調べは、共通なのです。

アナトリアは、山岳民族クルド人が多く住む土地です。

山の人々が、音楽を作る際に寄せる思いは、共通なのかと思います。

 

アナトリアの音楽は、トルコ西部で聞かれる音楽とは異なります。

トルコ西部で聞かれる音楽は、中東や北アフリカの音楽と

共通性があり、幅広い地域で愛されている曲調です。

それらの音楽と比較すると、アナトリアの音楽(文化)が

独特のものである事が、わかります。

 

一方で、地域間格差が、はっきりある事もわかりました。

トルコ東部(アナトリア)と西部を比較すれば、遅れた東部・進んだ西部で

ある事が、一目でわかります。

 

最近では、トルコ東部の発展が国家としての安定に不可欠と言う事で

トルコ政府は、東部の開発に力を入れているようです。

 

その後、私はトルコ東端の町ドゥバヤジットから

西へ西へと移動しました。

 

トルコは、20世紀前半にケマル・アタテュルクの革命によって、

イスラム国家として初めて、西洋型の近代国家を目指した国です。

アタテュルクの革命からそろそろ1世紀が経とうとしていますが、

近代化は、達成できたのか?

それは、私には分かりませんが、近代化と伝統的社会の相克を

実際に見る事ができました。

 

トルコ中部の世界的観光地のギョレメ、ここでは、大変洗練された

レストランがいくつも有り、大変美味なトルコ料理を手軽に

味わう事ができます。私は、そのうちの一つのレストランの

オープンテラスで、ランチを食べていました。

 

そのレストラン沿いの道の前方から、若い女性が歩いてきました。

ウェスタナイズされたファッションで、ミニスカートでした。

別に、この観光地では、珍しいファッションでは有りませんでした。

すると、道の後方から、大きな舌打ちが聞こえました。

そのレストランに居た一同が、ほとんど振り返りました。

馬車に乗った老年の女性が、その若い女性を、睨み付けていました。

その老年の女性は、伝統的なイスラムの服装でした。

伝統的な世界に生きているその老年の女性にとっては、

異物のようなその若い女性のファッションは許しがたいものだったのでしょう。

 

アラブの春を受けてトルコは、アラブへの外交を積極的に進めているようです。

トルコは、一足先に近代化へ踏み出した経験を踏まえて、アラブの国々に

イスラム国家の近代化への道は、着実さが必要である、

と説いているのではないでしょうか?

 

伝統的な集落が、近代化を受け入れるのは、相当な時間を必要とすると、

トルコは実感しているのではないでしょうか?

 

アラブを含めたイスラム世界の穏健な前進に寄与する事こそ、

イスラム世界全体の発展にとって重要と

トルコの人達が今、考えているなら、トルコは、またしても、

イスラム世界にとって、指導的役割を担う事になる可能性を秘めています。

トルコは、ヨーロッパとの関係が最も深いイスラム教の国として

宿命的に、その役割を担う立場に有るのかも知れません。

 

近代国家は、規模が大きいほど国際社会での発言力等が強くなり

それによって国家運営も有利に働くので大規模化への指向が強くなっています。

典型的な例がEUです。けれども一方で、その国家内での地域主義への指向も

年々強くなっていると思われます。それは、政府が一体感を演出すればするほど、

それへの反発として、抗い難い勢いで、噴出しているものです。

近代化とは、民衆の自立心を促すもので、

それは自分自身が住んでいる地域への愛着を促すものなのでしょうから、

地域主義の高まりは、必然ともいえます。

最近では、イギリスにおけるスコットランド、

スペインにおけるバスク・カタルーニャ地方の分離独立運動が、

分かりやすい事例です。

 

トルコの首都アンカラ。ここでも、偶然にその地域主義の一端を見る事ができました。

私がアンカラを訪れた時に、アンカラ・フェスティバルというものをやっていました。

花火が、盛大に上がり、アンカラの歌を、アンカラ市民が10回以上歌っていました。

単純なメロディで、歌詞は、アンカラと言う固有名詞が大半。

それを、集まったアンカラ市民のほとんどが歌うのです。

凄い迫力でした。アンカラ市民のアンカラに対する愛着が、伝わってくる歌でした。

繰返しが、あまりにも長く続いたので、私が今でも歌う事が出来るほどです。

 

一段落して、フェスティバルの司会者が、イスタンブールと言う固有名詞を

出した途端、アンカラ市民の凄まじいブーイングが始まりました。

部外者である私が呆れる位、ブーイングは果てしなく続き、ついには

司会者が、アンカラの方が上だよな、と言うと、アンカラ市民は

割れんばかりの歓声となりました。そこからは、文字通りのフェスティバルとなりました。

 

イスタンブールの市民が、アンカラをどのように考えているか分かりませんが、

アンカラの市民は、イスタンブールに対して強烈な意識が有ると感じました。

 

イスタンブールは、ビザンチウム・コンスタンティノープルと名前を変えて

現在のイスタンブールに名前を変えた由緒有る街で、トルコで最も有名な街です。

この街では、およそ20年前のトルコ経済が置かれていた立場、

及び国際為替の問題を学ぶ事ができました。

 

アンカラ・イスタンブールのビジネスマン及び自営業者と話していると

「EUへの加盟は、もう間近なんだ!」と、熱気を持った口調で力説される

事が度々でした。隣国ギリシャは、トルコよりも国力が無いにもかかわらず

ただ、近代ヨーロッパの生みの親の国と言うだけで、EUに加盟していました。

そのギリシャが、EUに加盟していると言うだけで、最大の恩恵を蒙っていた時期です。

その当時で、ギリシャとトルコの物価水準は、倍以上の差がついていました。

それは、少なくともその物価水準差以上の一人当たり国民所得の

差がついていたと言う事になります。

彼等のEU加盟への期待や焦る気持ちが、痛いほど私にも伝わりました。

 

NATO加盟国であるトルコは、特に1980年代以降の中東の戦争において

NATOの優等生として、その基地の役割を忠実に果たしていました。

 

彼等は、そう言う事実を持って、「もう我々は、西洋から信認されているんだ。

だから、すぐにEUに加盟できるんだ。」と力説していました。

 

しかし、トルコはEUへの加盟を、2012年現在でも果たせず、

ギリシャは、統一通貨ユーロへの加盟も果たし、

先進技術的な格差は無いにも拘らず、ますます両国の格差は、開いていきました。

そう言うトルコ経済の当時の状況を端的に現していたのが国際為替でした。

 

両替の為に銀行に行くと必ず衝撃的な宣伝文句が、どの銀行でも、

建物の窓ガラスに、でかでかと貼り付けられていました。

「1年物の定期預金利率が80%!」と。

しかし、トルコ国民の誰も、定期預金の窓口に並ぶ人はいません。

1年間の通貨下落率が、80%を遥かに上回っていたので

80%の利息を受け取っても損をするからでした。

逆に、給料日になると、人々が銀行の窓口に殺到します。

給料として支給されたトルコの通貨リラを、

当時最強の通貨ドイツ・マルクに換える為でした。

トルコは、急激なインフレに長期間にわたって晒されていたのでした。

ドイツ・マルクに換えれば、持っている紙幣の価値が下落することは無い

と言う理由からでした。

 

イスタンブールでは、ガラタ橋の近くのビアホールに毎日のように通っていました。

ライセンス生産のドイツの美味しい生ビールを、

庶民的な値段で提供してくれる流行っている店でした。

そこのチーフウェイターが、ニューヨークヤンキースのデレク・ジーターに似ていて

苦み走った男前でしたが、気性の良い人で、すぐに仲良くなりました。

 

そんなある日、私は、お勘定を見て、びっくりしました。

昨日よりも、ビールの値段が上がっているのです。

通い始めて、初めての値上げなら驚かなかったでしょう。

ですが、つい3日前に値上げが、あったばかりなのです。

「そんな、毎日のように値上げが有るなんて、常識的に考えられない!

 君達の店は、お客を侮っているのではないか?」

私は抗議し、デレク・ジーターと喧嘩になりました。

 

翌朝、私は、いつものように、ガラタ橋の近くのスタンドに

朝食等の買い物に出かけました。若い、気分の良い兄さんが

やっているスタンドです。大体、買うものは何時も決まっていて

水・フランスパン・ゆで卵でした。

その兄さんは、私の姿を遠くから確認すると、

私の買うものをすべて用意してくれていました。

それで、何時ものように、決まった金額を差し出すと、彼は

足りない、と言いました。

 

怪訝な表情を浮かべていた私に、その兄さんは、

今でも忘れられない笑顔で、こう言いました。

「また値上げだよ、これがトルコなんだ!

ようこそ!俺達の国へ!」

 

その店でも、3日前に値上げが有ったばかりでした。

 

私は、本当に悔やみました。デレク・ジーターに

ひどい事を言ってしまったからです。

それでも、その夜は、彼の店へ行きました。

そして、謝罪すると、デレク・ジーターは、

「良いんだよ、気にしないでくれ。他の国の人にとっては

驚く事だよ。だけど、トルコでは当たり前の事なんだよ。」

と言って、水に流してくれました。

彼の寛大さに感謝し、救われた気分になりました。

 

毎日のように行われる値上げ(=急激なインフレ)は、

実感として大変な事だな、と思いました。

自分が持っている紙幣の価値が、一日一日下落していく事実を目の当たりにして、

短期間しか滞在しない旅行者の私でさえ度を失ったのです。

まさに、自分が持っている紙幣の価値が、時間が経過するほど

減少していく恐怖心は、体感した人にしか、わからないものなのでしょう。

その時に初めて、給料日にトルコ・リラからドイツ・マルクに換える為に

銀行に殺到する人々の気持ちが分かりました。同時に、そんな空間で

生きていくのは、地獄だなと正直なところ、思いました。

 

私がトルコを訪れた時で、1USドルが1万リラでした。

その後、1USドルが、10万リラになったと聞きました。

そして、トルコは、デノミを行い、今は、1USドルが、1.5リラ程度になっています。

 

トルコとギリシャでは、今なお所得水準格差が、大幅に有ります。

トルコの今の実業界をリードする世代は、若い頃に

急激なインフレと言う地獄を経験しています。

あの通貨地獄から、安定した通貨となり、少しづつでも、

所得水準が上昇していくのなら、彼等は、大いに満足するでしょう。

 

ギリシャは、長年に亘って、EU加盟の果実を享受し、

近隣諸国と比して、技術的格差は無いにもかかわらず

極端な恩恵(ヨーロッパの保護)を受けてきました。

彼等の所得水準は、どの近隣諸国と比較しても、今なお破格です。

ギリシャ国民は、今の生活水準が、少しでも下がる事に

(それでも、充分に生活できる水準なのに)不満を持っています。

 

二つの国の未来を予測する上で、重要な指標が、

外国人投資家の動向です。トルコでは、外国人投資家による

資金流入が、資金流出を上回り、ギリシャでは、資金流出に

歯止めがかからないようです。

トルコは、皮肉にもEUに加盟できなかった事で、

今、投資先として熱い注目を浴びているのです。

 

 

近隣の国同士は、多少の時間のずれは有りながらも、

同じような過去・現在・未来を辿っていくと言う仮定が、正確だとしたら

しばらくは、トルコが前進し、ギリシャは後退する、

と言う未来予測が成立します。

 

                                                         記   2012年12月6日 槻木記

ネットを使った最近の中学校の授業風景にびっくり!

120926_1327~01.jpg聞記事の写真は、ある中学校の英語の授業風景だとか!

1人1台パソコンが与えられて、決められたテーマについて

ネットで調べてディスカッションするのだそうだ・・・。

バリバリのジャパニーズイングリッシュで「ディスイズアペン」

なんてやってた私の時代の英語の授業との差に、おばちゃんは羨ましいやらびっくりするやら・・。

きっとこの授業は、英語云々はともかく、膨大な量の情報からいかに

自分に必要な情報を探し出すかかの能力を引き出すためにあるのでしょう。

 生徒さんは「使いこなすのは大変だけど、ネットは一番知識量の多い教科書だ」

と言ってるそうだ・・

10代のころからこのような訓練をしているから、

きょうーびの若者は、情報の取捨選択の能力も優れてくるやろなあ!

大人も負けてられませんね。

せっかく、誰もが情報を平等にとれるネット社会に

生きさせてもらってるのだから、仕事や生活に上手に役立てないともったいない!

と、改めて痛感したのでした。 (新聞記事は、日本経済新聞 9月25日朝刊より)

 

                           2012年9月27日 白池 記

「おしん」とシリア

「おしん」は、今でも世界中のどこかで放映されていると言います。「風と共に去りぬ」も世界中の

どこかで放映されているとか・・・みんな、たくましい女性の物語が好きなのかな?と思います。 

 

シリアは、訪れる異邦人にとっては、とても素晴らしく温かい国でした。

多分、シリアを訪れた事の有る人は、そう言う感想を持っていると想像します。

 

・ダマスカス・・・市街を一望できる高台へ行くために、路線バスに乗りました。乗客は殆どいなくて

         約40分の行程でした。終点で金を渡そうとすると、運転手は。「いらない」と首を

         振りました。ただ、「遠い所から来たんだろう?」「WELCOME」「気をつけて旅をしろ」

         と言ってくれました。

 

         ダマスカスの市街を見渡した後、帰りのバスに乗りました。運転手は違う人です。

         降りる時、やはり運転手は、「金はいらない」と言いました。

         行きの時と同じ様に「俺達の国に来てくれてWELCOME」と言うことでした。

 

         「ありがとう」と思いました。その夜は、暖かい気分で寝床につけました。

 

         土産物屋では、良い感じの親父が出迎えてくれました。

         やはり、最初の言葉は「WELCOME」です。お茶をご馳走になりながら

         話し込んで行くうちに、その親父は、「シリアは、良い国なのに

         何で世界の人が来てくれないんだろう!」と言って、泣き出してしまいました。

         

         「何て純情な人達なんだろう」と好感を、持ちました。

 

・パルミラ・・・女王ゼノビアが統治したパルミラは、だだっ広い空間に、崩れた遺跡が点在して

        その風化した感じが、魅力的な遺跡です。

        パルミラに行くには、途中の町を経由していくのですが、その行き方を伝え聞いていて

        「所在無げにしていると、必ず水戸黄門のようなおじいさんが出てくるから

         その人にバスに乗せてもらう」と言うものでした。

        で、その通りにしていると、「お若いの、何かお困りかな?」と、おじいさんが

        声をかけてくれました。それで、彼に指示を受けた若者にパルミラ行きのバスに

        乗せてもらいました。

 

        パルミラでは、シリアが好きで毎年、会社の冬休みを利用してシリアを

        訪れていると言う日本人に出会いました。「えっ、毎年ですか?」と

        びっくりしました。シリアは、やはりムスリムの人が多数派ですので

        どこへ行っても、男の人が多く、はっきり言って、「むさ苦しい」国です。

 

        でも彼が、シリアの人達と接している時の表情が、心から楽しそうに

        しているのを見て、納得しました。「本当に、好きなんだなあ」と。

        そして、その気持ちが、少し分かるような気がしました。 

 

・アレッポ・・・アレッポは、古い雰囲気のある市場(スーク)が、魅力的な街です。

        ここでの食事は、ほとんど同じ食堂に通っていました。

        そこの親父は、私達が行くと、「WELCOME」と言い、その後に

        はにかんだ様な笑顔を見せるのです。それが、可愛らしくて

        みんな彼の笑顔のファンになり、そこに通っていました。

 

        スークから、少し外れた場所に土産物屋が有り、とても柔らかい表情の

        ハンサムな若者が座っていました。彼の笑顔に引き込まれるように、

        その店に、腰を落ち着けました。陽の高いうちに、座ったのですが、

        日暮れまで、話し込む事になりました。一つ一つ言葉を選んで、

        相手の言った事を、ゆっくり咀嚼してから返答する彼のペースは、

        先進国とは異なるシリアの時間の流れを感じさせました。

        話していると、どんどん癒されていく気分でした。

 

        私は、かねがね「おしん」の何が、世界中の人々を、引き付けているのか

        知りたいと思っていました。それで彼に、「おしんと言うドラマは、知っている?」

        と聞きました。その瞬間、彼は「パッと灯りがついた」様な表情になりました。

        「おしん・・・」と呟いて、それだけで興奮しているようでした。

        

       それで、「おしん」のどこが、あなた達の心に響くのですか?と聞きました。

 

       すると彼は、やはり目をつむって、深く考え込み、それから目を開けて

       柔和な笑顔で「おしんは、女性の中の女性(woman of the woman)

              なんです。」と、言いました。それから、更に愛しい人を抱擁するかのように

       手を広げて、「女性以上の女性なんです。」と、言いました。

 

       「おしん」と言うドラマは、世界中の人から深く愛されているのだな、と思いました。

       彼との対話は、本当に楽しいものでした。 

 

       中東と言う地域は、シリアに限らず、紛争が身近に有り、日本の映画やドラマが

       よく見られているようです。私が日本人だとわかると、「二十四の瞳」について

       熱く語りだし、感極まって泣き出してしまった中年の男性の背中をさすった

       経験も有ります。

 

       シリアの人々の心に深く浸透している「おしん」は、今まさに現実のドラマであり

       心の支えであり、励ましのドラマだと思います。

       

       「おしん」は、日本で作られましたが、世界中で愛される普遍のドラマなのだと

       思います。

 

                                     2012年8月26日 槻木記

       

        

        

        

                

        

               

        

 

        

 

20代の海外旅行はパック派にショックを受ける

夏休み真っ盛りの中、少々ショックな新聞記事を発見。

「20代の海外旅行・私はパック派
 〜好奇心より「損したくない」〜というもの*・・・

バックパッカーが全盛時代に学生だった私は、今でも旅行はほとんどが「フリー」
なので驚きもひとしおです。
 
「明日は、どんなことが起きるのか?どんな人に会えるのか?」というワクワクは、
フリーならでわだし、毎日のように起こるハプニングに慣れるうち「なんとかなるさ」
という、能天気な自信も身につきます(笑)

そして何より「現地の人の生の声」に触れる事は、
パック旅行ではほとんど無理だと思います・・・。
 

 例えば、私が韓国の地方都市をバスで回った時のこと・・・。
それまでは、日本に対する厳しい歴史感情は、かなりなものに違いない・・
と思い込んでいましたが、日本人とみるや話かけてくださった年配のお話の内容は、
その思い込みとはかなり違いました。
   
 韓国の年配の方にとって、日本統治時代はまさに青春時代。
(色々と悲しい事実もあるものの)日本語や日本の文化に、
愛着を持って懐かしんでおられる方も多いということを知りました。

これからの時代、日本だけに向けて仕事が成立つのは少数派となるでしょう・・。
他国の人の生の声を知ることは、生きていく上でも不可欠になると思います。

 また、外国に行くたびに感心するのは、欧米人(特におばさま方)のパワーです。

日本では全盛だった時代でも、バックパッカーは若者の特権・・
のような認識がありましたが、欧米人は違います。 
一人旅のおばさまもいます・・ 

「新大陸発見するような人はやっぱりちゃうわ」と感心しながらも、
私も「いくつになっても、好奇心が枯れない人間になりたいなっ」と、
尊敬のまなざしで見ています。

なので、若者のみなさん!! 
好奇心をもっともっとたぎらせてくださーい!!

       (*記事は、2012年8月1日付 日経新聞・朝刊のもの)

               2012年8月12日 白池 記

宋文洲さん(ソフトブレーン創業者)のセミナー

先日、憧れの経営者・宋文洲氏のセミナーに行ってきました。

 宋さんが憧れの人となったきっかけは、バンコクのチャイナタウン。

あの活気に満ちた商売人の街に滞在して「中国人ビジネスマンが書いた本を読みたい」と思い、

帰国後本屋さんで物色して見つけ出したのが、宋さんの著書の一つ、「ここが変だよ。日本の会社」

「きれいごと」が一切ないお考えに心酔し、それ以来、宋さんの「おっかけ」状態・・

宋さんのメルマガとツイッターは、心の支えになっています。

地元大阪で、生・宋さん節を拝聴できる機会はめったにないので、

かぶりつきの席でセミナーを聞いてきました


セミナーのタイトルは、「関西人は国際人」

真の国際人とは、「異なるものに対して寛容である」こと・・ 

日本人の中では、関西人がその素質を持ち合わせている・・言っていださってました。


そして、一番強い人間とは、なんといっても「どこへ行ってもやっていける人間」だと。。


 実際、宋さんの小学生のお子様方は、現在北京のインターナショナルスクールで

お勉強されているとか。。  北京の学校に変わられてからのお子さんの変化のご様子は、

非常に興味深いものがありました。

やはり、素敵や・・・。

すべてが、現実・本質というお話を伺い、エネルギー満タンになれました!

                        2012年6月7日 白池 記

6月です!

淡路島・奇跡の星の植物館.jpg早くも今年も6月!

会計事務所業界は、年明けからの繁忙期からちょっと一息つける時期・・・。

この時期こそ、じっくり腰すえて、社会の動き・既存の仕事やり方・今後の展望

など、見つめなおす時期にしたいです〜

写真は、淡路島の奇跡の星の植物館のあじさいです!  

                                2012年6月3日  白池 記

ミャンマーに行く方へのお勧め本

SN3O0049_convert_20120508183626.jpgこのところ日本企業のミャンマー進出がかなり活発になってますね。

ついに年内には、コンビニが開店するそうで、ちょっと寂しい気分ですたらーっ(汗)

 

私がミャンマー旅で読んだ次の2冊は、現地でお仕事される時に

きっと役に立つと思うので、紹介します!

 

まずは「ミャンマーの柳生一族・高野秀行氏著」

ミャンマーは軍事政権、と言うと何やらおどろおどろしいが、

日本の江戸時代と思えばいいと…。この視点からミャンマーの重要な人物を

日本の江戸時代の実在の人物に例えて説明していて、これがなんともわかりやすい!

 

またこの本は、次に紹介する船戸氏小説・取材旅行で、通訳として同行された

体験がベースなので、ミャンマーの今のリアルな人間像に触れる事ができます。

 

少数民族の村に単独で住み込んでの取材を実行した、氏ならではのミャンマー

への溢れる愛情も伝わってきます。

 

もう一冊は「河畔に標なく・船戸与一氏著」

ハードな船戸ワールド炸裂ですが、ミャンマーの少数民族問題の根深さに、

胸が詰まります。小説ですが、ある意味非常に現実を表してるように思いますー。

 

お二人は、早稲田大学・探検部の先輩後輩。

これを読んで、早稲田の探検部にめちゃ憧れた私です揺れるハート

                                        

                                2012年5月8日 白池 記

扇町公園  桜 2012年

120407_1544~02.jpg大阪市北区・扇町公園の桜です。 ようやく咲いた桜も「早まった かな」思うほど、今日は寒いです。

 超ビール好きの私でも、この 寒さではここでビールはよう飲みません。。

・・が寒さをものともしない若者のグループのお花見が盛り上がっておりました!

              2012年4月7日 白池 記

大阪府庁の桜 2012年3月30日

大阪府庁の桜 24年3月.jpg書類の提出のため大阪府庁へ! 府庁近辺の桜、例年はこの時期、ちらほら咲いていますが、
今年は、やっと蕾がふくらんだ・・・という感じかな。 見ごろは来週かな

ここでの書類の提出を終えると、春の到来を、心から実感!

ヨーロッパ(フローラ・ルイス)中編

リーマンショック後の間もない頃、飛行機の機内にある英語の雑誌をめくっていると、

ある記事に目が止まりました。

ヨーロッパのエコノミストが書いた記事で、「日本から学ぶ事は、もう無い」と言うタイトルでした。

日本のバブルが弾けた後、日本で何が起こったかは、参考になった。そして、その後

どういう政策を取って、失敗したかもわかった。だから、日本と同じ轍を踏まない為には、

日本とは別の道を進まなければならない。だから、日本の政策は、参考にならない。

と言う内容でした。

 

随分言ってくれるな、と思いましたが、ヨーロッパは、日本の失敗を参考にしてくれて、賢明な選択を

してくれるだろう、と思いました。

 

ところが・・・その後のヨーロッパの動きは、その場凌ぎの場当たり的な政策(時間稼ぎ)が

続いているように見えます。

 

なぜ?どうして?と疑問が浮かびます。

金融のシステムを安定させる事が、非常に重要である事は、わかります。

 

けれども、なぜ?どうして?と疑問が浮かびます。

これでは、バブル後の日本と同じではないかと。

いや、ヨーロッパは各国が、それぞれバラバラの財政政策を取る為、

日本よりも、もっと時間もお金もかかるのでは、ないかと。

 

ここ数年、ギリシャへの支援が焦点となっていますが、支援を続けたとして

ギリシャが自力再建出来るかどうか、が最大のポイントなのではないでしょうか?

 

ここで注目したいのが、フローラ・ルイス女史のギリシャへの論評です。

彼女の論評は、彼女が亡くなる直前の2001年までのギリシャについて

書かれています。

 

<ギリシャ 栄光の神話と果てしない政情不穏の国 より>


『それでもギリシャは、少しずつ変化していた。この国はいつも矛盾に満ちた国だった。

あるフランスの外交官がこういったことがある。「ギリシャでは、何事も永遠に真実
ではありえず、何一つ、永遠に嘘ではない」。パパレンドレウが成功したのは、

多分に、この国にある変化への渇望のおかげだった。しかし、変化は人びとが思ったほど
速やかに、あるいは苦痛なしにはやってこなかった。しかも彼らは、

近代化の障害になっている昔からの特権や習慣を手放すつもりはなかった。ほとんどの親の夢は、
子どもを政府の職に就けることだった。政府の職にありつけば、失業の心配もないし、

社会的にも威張れるからだ。この国は、ルネッサンスも、産業革命も、
第二次世界大戦後に西ヨーロッパが経験した目覚しい経済成長も、

それに物質主義の行き過ぎへの反動として一九六八年に起きた学生暴動も、

ついに経験しないできた。
その結果、ある種の幼稚さが残り、国民は古い東洋的な冷笑癖に加えて、

この国より後れた第三世界の国でこそ人気を博すようなスローガンに動かされてきた。
政治を動かすものは感情だった。論理ははるか後ろに置き去りにされた。

それを自分で批判しながらも、ギリシャ人はそういう在り方を好んでいるのだ。

 

ギリシャ人の九八パーセントはギリシャ正教の信者だが、

そのギリシャ正教の教会は活動性を欠いた農村人口を基礎にしていて、

次第に国民への影響力を失いつつある。
教会は根っから保守的だが、左翼と称する人でさえ、

結婚や葬式を教会以外の場でしたいと思うものはいない。

教会の使うことばにも、国家の使うことばにも、
家父長主義のひびきがある。政治家は、学校や道路を有権者に「与える」という。

まるで、彼らは有権者の代表というより、温情を振りまく保護者であるかのようだ。
それでも、一人当たりの国民所得は、内戦末期の一九五〇年にわずか三百ドルだったものが、

一九八〇年には四千四百七十ドルと劇的に増えた
だが、高いインフレによってその後は下降線をたどり、

一九八五年には三千七百ドルに落ちてしまった。

これは、西ヨーロッパの水準にくらべるとはるかに低いが、
どの近隣諸国より桁違いに多い。

いまでも村に行くと、ミルク売りの老婆が山羊を引いて、農家のドアからドアを回っている。

農家の主婦が直接、山羊の乳を搾るのだ。
一方、非常に近代的な企業もいくつかある。都市化の波にもかかわらず、

家族の絆はきわめて強い。そのおかげで犯罪の発生率は低い。
ただ、都市ゲリラはときどき蠢動している。ギリシャ人気質の特徴は、

迷信深いこと、誇り高い事、感受性が鋭いことである。
なかでも魅力(カリスマ。英語のチャーム)は最高の価値とされている。

カリスマということばは古代ギリシャの時代からあるが、長い年月を経ても、ついぞ
その値打ちが下がることはなかった。

 

貿易が拡大し諸外国との接触が増えたこと、

冷戦後には新しい世代が権力層に進出するようになったこと、

とりわけ欧州共同体のほかの仲間たちが、ギリシャのことを尊敬するどころか、

口には出さないまでも心の中で一筋縄でいかないトラブルメーカーと蔑んでいるのが

わかってきたこと、などが重なって、

ギリシャの政府の言動に少しずつ変化が生じてきた。

一九九九年にわずか二、三週間の間をおいてまずトルコで、ついでギリシャで大地震が起きた。
これは衝撃的な形でこの二つの国に、お互い人間同士であるという認識をもたらした。

両国は自発的に相手に対して支援の手を差し伸べた。
もちろん地震によって半世紀にもわたって続いてきた政策が一挙に捨て去られて、

和解にいたったわけではなかった。
しかし、二つの地震は、古い本能的な敵意がいかに時代遅れで無意味であるかを明らかにした。

ギリシャは、主として欧州連合のおかげだが、新たな自信を得た。

そして隣国、とりわけトルコとマケドニアへの本能的な反感を反省する事ができるようになった。
一九九九年に共通通貨ユーロが発足したときにはこれに参加する条件を満たすことはできなかったが、

二〇〇一年には何とか参加するために準備に取りかかった。

冷戦の最中、ギリシャはバルカン諸国に背を向けて、みずからを西側の一部とみなしたがっていた。
この後進的な地域にあって、西側の一員の立場を取りたがるのは例外的なケースだった。

だが、ヨーロッパ大陸全般に発展の趨勢がおよぶにつれて、
ギリシャ国内では、地域の発展に歩調を合わせることが

この地域すべての国にとって利益であるという認識が強まっていった。
もし近隣諸国の進歩を手助けすることができれば、

この地域のリーダーになる可能性も出てきた。それまでギリシャは、

欧州連合がトルコに援助したり理解ある態度を取ったりすることに断固として反対してきたが、

それも引っ込めた。その結果、この地域の雰囲気は大きく変わった。
ギリシャとトルコは共にNATOの加盟国であるにもかかわらず、

ほんとうに局地戦争に突入するのではないかと恐れられたことがこれまで何度かあった。
だが新しい世紀に近づくにつれて、こうした恐れは消えていった。

 

ギリシャは、新たに民族主義に駆られて冒険しない限り、

西ヨーロッパの水準に向かって上昇していくにちがいない。
ギリシャ人は重い古代ギリシャの歴史の影に覆われて生きており、

子どもが生まれると神話に出てくる古い名前をつける。
そして自分たちの祖先が、すべての西洋文明の祖先だったことに思いを致しては、

震えるような喜びに浸るのだ。
だが、彼らは、五百年間も西洋文明から落伍していた。

このギャップはあまりにも大きいので、古代からの継続性がほんとうにあるとはいいがたいし、
古代の官能的な大理石と栄光ある神殿に囲まれた中で生き残った遺産が,

花開くことは望むべくもない。
このために誇りと屈辱の思いが同居し、悲嘆の激情と歓喜に満ちた生の祝福とが同居しているのだ。
ギリシャ人は、強烈に人生を生きている。だが、自信をもって生きているのではない。』

 

素晴らしい名文だと思いますが、この論評を読む限り、

ギリシャの自力再建は、非常に難しいと考えられます。

地図を見渡せば、ギリシャと陸で国境を接している国は、アルバニア・マケドニア・

ブルガリア・トルコでEUの主要国からは、かなり離れています。

ギリシャは、数世紀に渡ってトルコの支配下であった時期も含めて、

EU主要国で有ったような民主化の荒波を受けずに、現代に辿り着いてしまったと、

フローラ・ルイス女史は、書いています。

 

たとえ、自力再建が出来ない状態でも、もしアメリカの新金融工学の創世記(1980年代後半)

であったなら、その強烈な追い風によって、ギリシャは、今ほど困難な状態では

無かったかもしれません。しかし、現在では、残念な事に追い風は、吹いていません。

 

とすれば、やはり、なぜ?どうして?と言う疑問が浮かびます。

時間稼ぎをした後の、次の展望を、ヨーロッパの人びとが、現在示していないからです。

 

ヨーロッパの停滞は、目に見える形で、日本を含めて世界に波及しています。

停滞の時間が長いほど、その後の影響も長い事は、バブル後の日本が経験済みです。

 

近代では、常に世界のトップランナーであり続けたヨーロッパの人びとの経験と叡智が、

これ以上の損失を、食い止め、次の新たなる枠組みを提示してくれる・・・

それは、信じています。

 

ただ、できるだけ早くして欲しい・・・それを願っています。

               

              2012年2月5日 槻木記

 

 

 

 

 

ミャンマーの旅 まとめ 〜人〜

初めてミャンマーという国を訪れて一番心に焼きついているのは、やはり人々についてです。

自由旅行では耐えず気を張り、強気モードで行動しなければえらい目に会うのが、普通なのですが、ミャンマーでは一度もえらい目に会うことがなかったのです!
それどころか、期待以上のサービスをあちこちで受け、ほんまかいな?と何度も思ったほどです。

例えば、バイクタクシーでの移動での出来事。目的地の直前で、目的地まではバイクで行けず渡し船に乗る必要があることが判明しました。
普通なら渡し船の乗場で何の説明もなく降ろされ、代金請求されて「ハイ、さいなら」です。
しかし約束の目的地まで送り届けるのが責任だからというとこで、ドライバーさんも一緒に渡し船に乗って荷物を持ってくれたのです。追加料金を請求されるんちゃうか…とハラハラしてたのですが、そのようなこともありませんでした。料金もしっかり下調べをしてたので、適正料金でお願いしてたんですよ!

また、あるリゾート地では、ふらっと入った食堂のスタッフの人が、自分には何のメリットもないのに、ホテルの宿泊交渉に根気よく付き合ってくれました。おかげで旅行会社を通して予約しないと泊まれないホテルに、一見のバックパッカーが泊まる事ができました。

今、ミャンマーの平均月収は、約40$だそうです。平均月収がその100倍の国の人間に対して、ボッたくったりすることもなく、無償の手助けや価格以上のサービスをさりげなく提供してくれる…。
何がこうさせるのか…と考えていましたら、雑誌・旅行人に次のような文章を見つけました。
ビルマ人の多くが、仏教徒だが日本の大乗仏教とは違い、小乗仏教である。その教えは自分が徳を積めば積むほど高いステージに上がる事ができ、来世での幸せに繋がる」…と。
ヒンズー教も同じような教えがあると聞きますが、私のつたない旅の経験では、人のタイプはちょっと違うように感じました。

またミャンマーの人の特長として、時間にきっちりしているという事も印象的でした。
アジアの旅では、日本人の感覚からするとルーズな時間の感覚に、イライラさせられることもしょっちゅうですが、そんなこと一度もありませんでした。


もう一つ印象深かったのは、インテリな人が多いということですー。インテリと言っても、高学歴だとか、そうゆう意味ではありません。
ほとんどの人が英語が達者でしたし、勉強熱心でした。
ミャンマーの識字率は90%以上で、このクラスの経済力の国ではあり得ない高さだということです。

電力等のインフラも未整備でレジャーも少ないことから、読書好きな人が多い
ということも影響しているようです。
新聞もきっちり読んでいる人が多いようで、日本人だと告げると「大きな地震と津波があったけど、あなたの町は大丈夫なのか?フクシマは、大変なことですね」とあちこちで言ってもらいました。

そ・し・て・・・とてもいい顔をしてる人が多かった。裕福ではないけど、国や会社や家族に頼る事なく、自分の力で生きていると、人間の目の輝きが違うなと感じました。

責任感が強く親切で、時間はきっちりその上インテリジェンスも溢れる人々…。

質の高い労働力そして、仕事のパートナーとして世界中からラヴコールを受けることでしょう。
そして、その動きは急速に進んでいるようです。あまりにも変化のスピードが早いため、
ルール等の整備の関係者は皆、不眠不休だという新聞記事がありました。
その記事は、ミャンマーの急速な変化に対する燃え尽き症候群を憂いているのですが…

次にあの国を訪れる時は、人々の顔は変わっているんやろか?・・・
失われた20年の国からやってきた旅行者である私は、少し複雑な気持ちになりつつ、早くも次回の訪問が
楽しみになっているのでした。

旅の幅を広げてくれた本

ミャンマーという国にとって「ビルマ族以外の民族」のことは、
おそらく一番デリケートな問題ですが、一般の旅行ではその問題に触れることは困難です。
それを補ってくれたのが、この二冊の書物でした。
「河畔に標なく」船戸与一氏著
「ミャンマーの柳生一族」高野秀行氏著
どちらもお勧めです

 

                                                    2012年1月31日 白池 記

ミャンマーの旅3 〜服装編〜

ミャンマー・ヤンゴンの国際空港に降り立ってまず驚いたのは、
民族衣装の着用率でした。 民族衣装という表現が適切かどうか不安ですが、
ビルマ風腰巻=ロンジーのその着用率は、ヤンゴンのダウンタウンでも、当然地方都市でも
ほぼ98%!!
 男性も女性も老いも若きも、タクの運ちゃんも、商店街の店主も店員も、お役所の職員も、
 みんなロンジー姿です。

 腰巻といえば、インドの「ルンギ」を思い出しますが、ルンギはどちらかというとラフなイメージが
 強いですが、ミャンマーのロンジーは、作業着としてはもちろん、きちんとした服装としても
 しっかり通用しているのです。

 男性は、ワイシャツに、折り目正しいパリッとしたロンジー。
 女性は、ブラウスに色とりどりのロンジー 。。。

  
  みなさん、パりっと決めておられます。 
  しかも! 男性も女性も、けっこうセクシーでした。
 
現代の大都会において、ここまで指示されている民族衣装は、他にはないように
思います。

 若者も、西洋的なファッションに、今のところなびいていないのが、また素敵!
  
 ジーンズなども町中で安く売られているのですが、何せ、
 大変便利であるとのことで、 支持されているとか・・・。 

この国は、ここしばらくで劇的に変化するのでしょうが、
このロンジー着用率に関しては、このままでいてほしいな・・・。
と、願った外国人旅行者でありました。

 追記
   インドシナ半島・・・インドと中国に挟まれているこの半島にある国々は、いろんな意味で、
   両国の影響を受けていますが、ミャンマーは、植民地時代は英領インドであったことからも、
   インドの影響を強く受けているように思いました。 
   (ヤンゴンの映画館では、大好きなインド映画を楽しむことができましたし、
   インド系の食堂のお兄ちゃんと、インドの俳優さんと女優さんの話で盛り上がることも
   できましたよ!!)

ロンジー  綺麗な刺繍の女性用のロンジー。 日本の着物柄も人気でした

 

                              2012年1月28日  白池 記                                 

ミャンマーの旅2  〜食事編〜

ミャンマーの旅  〜食事編〜

旅行好きの人間は、必ずといっていいほど「食いしん坊」
私もその代表選手です。 

いきなりですが、ミャンマーは、私にとってパラダイスです!
だってだって、生ビールがナント! 日本円にして、一杯60円なんです!
しかも、凄く美味しい!   私の週末ご褒美ビールの、○○ツや○○搾りと同レベルのうまさ。


瓶ビールは、大瓶 1本 日本円にして約150円だったので、生ビールがとりわけ安いという
ことになります。


瓶詰めやパッケージにかかるコストの方が、お店の人件費・場所代よりも
高いと、推測しているのですが。。。

(ということは、日本の飲食店の人件費・場所代がいかに高いかですね(汗)

生ビールを出してくれる店では、現地のおっちゃんたちが、いい感じに、
くつろいでおられました(若者や・女性の姿はありませんでした。。ちょっと残念)

また、ラム酒やウイスキーも、小さな瓶のものが、約60円で販売されていて、
期待せずに飲んでみれば、なかなか美味い!!

ミャンマー人は、宗教的にタブーなお方意外は、なかなかイケルくちと
お見受けしました。。


肝心の食事のほうも、大満足でした。
いわゆるビルマ料理は、お肉などの油煮込みなのですが、付け合せの野菜が、
もりだくさんで、ボリュームたっぷり。 
そして、不思議なことに日本の九州の高菜漬けにそっくりの味のスープが定番なのです。  どっかで繋がっているのでしょうか?

また、ヤンゴンはインド系の人が多くすむので、2日に1回はインドのタリーと、ビリヤニを
食べていました。 
インドで経験して以来の、「永久にご飯とカレー継ぎ足してくれるインドの定食」を堪能できました。

屋台の麺も、1階杯 60円くらいで、サイコーの味。  

食いしん坊(呑み助)的にも、大満足の国でした。

    ミャンマービール
         

   ゲストハウスに備え付けのグラスも、ビールジョッキ!!
    横の素焼きの器は、ヨーグルトです。

 (後で自分で気づいたのですが、お料理の写真が1枚もなかった! 出てきたら、即効
  食べてしまってるからでした! 凄い食い意地の張り方に、自分でも驚き!!)
                        2012年1月26日 白池記

ミャンマーの旅1 〜街〜

2011年12月・初めて訪れた国、ミャンマーの第一の都市・ヤンゴン・・・。

東南アジアの都市にある底知れぬパワー以外に、独特の個性を放っていると感じました。

それは、今や世界中のあらゆる場所で目にする、コンビニやファストフードの看板が、

一枚もないからやと気づきました。

諸事情で、西側の資本が入ることによる「世界の街・画一化の波」に、飲み込まれずにすんだので

すね。

お隣の国タイのバンコクなどは、最近コンビニが普及しすぎて、バンコクのカウサン通りが、一瞬・わ

が町天神橋筋商店街に見えてしまうことがあるくらいですから!

そんなヤンゴンの街でも、資本主義の風がひしひしと近づいていました。

ミャンマーでは、冷蔵庫やテレビなどの家電は、まだまだ庶民には普及していないようでしたが、

急速に需要が伸びているのでしょう。

通りにはたくさんの冷蔵庫やテレビを陳列した家電やさんが多く軒を連ねて、

どの店も、大変活気づいているように見えました。

基本的な電化製品が、これから普及するという状況で、同時に、インターネットも

ものすごい勢いで普及しているようでした。

街にはネットカフェがいくつもあり、どこも盛況でした。

冷蔵庫とネットが同時に普及!  この国は、想像もつかないスピードで

変わってゆくのでしょう。。。 

帰国の日には「数年後には、めちゃめちゃ変わってるんやろうな・・・」

と、ちょっと寂しい気分で、歩道がデコボコで埃っぽいヤンゴンの街を後にしました。

帰国して数日後、ミャンマーで多くの政治犯が釈放されたとのニュースが出るや

アメリカがミャンマー大使の復帰を進めたり、我国の経済産業大臣がミャンマー

を訪れたりで、変化のスピードに更に加速がつきそうな気配です。

今年の年末にはすでに、ヤンゴンの街は変わってるのかもしれない・・と思うと

素晴らしいサービスで対応してくれた露店や・小さな商店の店主の顔が浮かんできて、

胸がつまってしまうのでした。  

 

 

ヤンゴンダウンタウンの、ランドマークの寺院です。 このすぐ隣に、モスクがあります

 

 

    2012年1月17日   白池 記

2012年・ミャンマーでもらったすがすがしい決意

みなさま! 2012年 新しい年。 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。




年末年始は、


近いうちに強烈に変化するであろうミャンマーを、

どうしても今のうちに見たいと思い、いってきました。

初めて行った国ミャンマーの人々は、とても優しく、仕事には責任感があり、

物凄くインテリジェンスに溢れておられました。 今まで自由旅行で行った

どの国よりも、旅がしやすかったように思います。 

ミャンマーの働く人々のさりげない細やかなサービス精神に、心打たれました。

旅先でいただいたすがすがしいパワーを、今年の仕事に活かしたいです!


その決意を、えべっさんにお伝えしてきました!   

ミャンマーでの詳細は、また後日アップします!

                         2012年1月11日  白池 記

大阪W選挙の日に、民意について考えた

今日大阪では、知事と市長のW選挙が実施されます。
全国放送のテレビでこの話題が取り上げられない日がないくらい、
注目を集めています。

そして、新聞紙上では、欧州財政危機の記事が載っていない日はありません。
最高ランクのドイツ国債さえ大量に札割れ(買い手がいなかった)になるなど、深刻さは、日々
増しています。
その欧州危機の発端であるギリシャで、今月初め他国に支援してもらう条件である、財政緊縮策
を受け入れるかどうかの、国民投票が実施されそうになりました。 
借金漬けになってしまったのは自分たちのせいじゃないと、
開き直ってしまう国民性のギリシャ・・・。そのような国で、民意を問うたところで、
まともな方向にいかないことは、誰もが想像できます。

では、我が国・日本ではどうでしょう?超高齢社会、違憲とされながら改定されない
一票の格差問題・利権団体の存在・若年層の投票率の低下・・・。
どの要素をとってみても、日本の民意は、国を正しい方向に導くとは、到底
考えられません。 
このような時代は、民意を正しい方法へ引っ張ってくれる、強いリーダーが
必要やと思うのですが・・・・
 
 そして今日、わが町大阪・・・。民意の結果が、
これからの大阪を、正しい方向へ導いてくれることを祈って、選挙に行ってきます! 

                          2011年11月27日 白池 記 

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タイ・バンコクの洪水が心配です

大好きな街、タイのバンコクが洪水で大変なことになっています。

 

数日前には、遂に街の中心部まで水が溢れだし、

バンコクに行くといつも滞在するチャイナタウンの通りに、

水がザーザー流れている様子がテレビで映っていましたあせあせ(飛び散る汗)

いつも、ビール買ってるコンビニの前も大変なことに

なってるたらーっ(汗)

 大好きな、あの屋台はどうなってるんやろう?

店員さん達の顔が浮かびます。。。


今回の洪水がここまでひどくなったのは、

タイの政府が長く政争に明け暮れて、治水を

おろそかにしてきたから、という意見もあるようです。

今年の8月には、タクシンさんの妹さんのインラックさんが、

半タクシン派を倒して、首相になったばかり。。。

よみうりオンラインの記事によりますと、

「両派とも10〜20年先を見据えた治水をおろそかにし、

農民支援など選挙に勝つためのバラマキしか考えていない」

と批判しているタイのコラムニストもいるそうです。


あらら・・どっかの国と似てるようなふらふら。。。


洪水の様子の映像を、心配しながら見ていると、

やっぱりタイの人は凄いな、と思います。

みんなの顔が悲壮でなく、どこかあっけらかん

としているところです。

こうゆうところが、タイの好きなところでも

あるのですが黒ハート。。。。


11月になると乾季に入るので、少しでも早く

大好きな街バンコクが、通常に戻ることを、

祈るばかりです。

 

                   2011年10月30日  白池 記

公的資金は、英語で?

随分前から「公的資金」という日本語に、違和感を覚えてました

 そしてここ最近の、ギリシャ危機を発端とするヨーロッパ諸国の財政問題のニュースをみる度に、
その違和感がピークに達し、素朴な疑問に変わりました。
「外国語でも、公的資金って、言うてるんかいな?」と…。

 その疑問は、Wikipediaで即解決しました!
Wikipedia によりますと、
「外国では公的資金(英語:public fund)のような表現はあまり用いられず、
より直接的に taxpayer money あるいは tax money、つまり「税金」と表現される場合が多い。」
だそうです。 

 素朴な疑問は解決し、すっきりしましたが「公的資金」という日本語に対する違和感は、
やや増幅してしまいましたふらふら・・・。トホホ

         2011年10月25日 白池 記