ヨーロッパ(フローラ・ルイス)中編

リーマンショック後の間もない頃、飛行機の機内にある英語の雑誌をめくっていると、

ある記事に目が止まりました。

ヨーロッパのエコノミストが書いた記事で、「日本から学ぶ事は、もう無い」と言うタイトルでした。

日本のバブルが弾けた後、日本で何が起こったかは、参考になった。そして、その後

どういう政策を取って、失敗したかもわかった。だから、日本と同じ轍を踏まない為には、

日本とは別の道を進まなければならない。だから、日本の政策は、参考にならない。

と言う内容でした。

 

随分言ってくれるな、と思いましたが、ヨーロッパは、日本の失敗を参考にしてくれて、賢明な選択を

してくれるだろう、と思いました。

 

ところが・・・その後のヨーロッパの動きは、その場凌ぎの場当たり的な政策(時間稼ぎ)が

続いているように見えます。

 

なぜ?どうして?と疑問が浮かびます。

金融のシステムを安定させる事が、非常に重要である事は、わかります。

 

けれども、なぜ?どうして?と疑問が浮かびます。

これでは、バブル後の日本と同じではないかと。

いや、ヨーロッパは各国が、それぞれバラバラの財政政策を取る為、

日本よりも、もっと時間もお金もかかるのでは、ないかと。

 

ここ数年、ギリシャへの支援が焦点となっていますが、支援を続けたとして

ギリシャが自力再建出来るかどうか、が最大のポイントなのではないでしょうか?

 

ここで注目したいのが、フローラ・ルイス女史のギリシャへの論評です。

彼女の論評は、彼女が亡くなる直前の2001年までのギリシャについて

書かれています。

 

<ギリシャ 栄光の神話と果てしない政情不穏の国 より>


『それでもギリシャは、少しずつ変化していた。この国はいつも矛盾に満ちた国だった。

あるフランスの外交官がこういったことがある。「ギリシャでは、何事も永遠に真実
ではありえず、何一つ、永遠に嘘ではない」。パパレンドレウが成功したのは、

多分に、この国にある変化への渇望のおかげだった。しかし、変化は人びとが思ったほど
速やかに、あるいは苦痛なしにはやってこなかった。しかも彼らは、

近代化の障害になっている昔からの特権や習慣を手放すつもりはなかった。ほとんどの親の夢は、
子どもを政府の職に就けることだった。政府の職にありつけば、失業の心配もないし、

社会的にも威張れるからだ。この国は、ルネッサンスも、産業革命も、
第二次世界大戦後に西ヨーロッパが経験した目覚しい経済成長も、

それに物質主義の行き過ぎへの反動として一九六八年に起きた学生暴動も、

ついに経験しないできた。
その結果、ある種の幼稚さが残り、国民は古い東洋的な冷笑癖に加えて、

この国より後れた第三世界の国でこそ人気を博すようなスローガンに動かされてきた。
政治を動かすものは感情だった。論理ははるか後ろに置き去りにされた。

それを自分で批判しながらも、ギリシャ人はそういう在り方を好んでいるのだ。

 

ギリシャ人の九八パーセントはギリシャ正教の信者だが、

そのギリシャ正教の教会は活動性を欠いた農村人口を基礎にしていて、

次第に国民への影響力を失いつつある。
教会は根っから保守的だが、左翼と称する人でさえ、

結婚や葬式を教会以外の場でしたいと思うものはいない。

教会の使うことばにも、国家の使うことばにも、
家父長主義のひびきがある。政治家は、学校や道路を有権者に「与える」という。

まるで、彼らは有権者の代表というより、温情を振りまく保護者であるかのようだ。
それでも、一人当たりの国民所得は、内戦末期の一九五〇年にわずか三百ドルだったものが、

一九八〇年には四千四百七十ドルと劇的に増えた
だが、高いインフレによってその後は下降線をたどり、

一九八五年には三千七百ドルに落ちてしまった。

これは、西ヨーロッパの水準にくらべるとはるかに低いが、
どの近隣諸国より桁違いに多い。

いまでも村に行くと、ミルク売りの老婆が山羊を引いて、農家のドアからドアを回っている。

農家の主婦が直接、山羊の乳を搾るのだ。
一方、非常に近代的な企業もいくつかある。都市化の波にもかかわらず、

家族の絆はきわめて強い。そのおかげで犯罪の発生率は低い。
ただ、都市ゲリラはときどき蠢動している。ギリシャ人気質の特徴は、

迷信深いこと、誇り高い事、感受性が鋭いことである。
なかでも魅力(カリスマ。英語のチャーム)は最高の価値とされている。

カリスマということばは古代ギリシャの時代からあるが、長い年月を経ても、ついぞ
その値打ちが下がることはなかった。

 

貿易が拡大し諸外国との接触が増えたこと、

冷戦後には新しい世代が権力層に進出するようになったこと、

とりわけ欧州共同体のほかの仲間たちが、ギリシャのことを尊敬するどころか、

口には出さないまでも心の中で一筋縄でいかないトラブルメーカーと蔑んでいるのが

わかってきたこと、などが重なって、

ギリシャの政府の言動に少しずつ変化が生じてきた。

一九九九年にわずか二、三週間の間をおいてまずトルコで、ついでギリシャで大地震が起きた。
これは衝撃的な形でこの二つの国に、お互い人間同士であるという認識をもたらした。

両国は自発的に相手に対して支援の手を差し伸べた。
もちろん地震によって半世紀にもわたって続いてきた政策が一挙に捨て去られて、

和解にいたったわけではなかった。
しかし、二つの地震は、古い本能的な敵意がいかに時代遅れで無意味であるかを明らかにした。

ギリシャは、主として欧州連合のおかげだが、新たな自信を得た。

そして隣国、とりわけトルコとマケドニアへの本能的な反感を反省する事ができるようになった。
一九九九年に共通通貨ユーロが発足したときにはこれに参加する条件を満たすことはできなかったが、

二〇〇一年には何とか参加するために準備に取りかかった。

冷戦の最中、ギリシャはバルカン諸国に背を向けて、みずからを西側の一部とみなしたがっていた。
この後進的な地域にあって、西側の一員の立場を取りたがるのは例外的なケースだった。

だが、ヨーロッパ大陸全般に発展の趨勢がおよぶにつれて、
ギリシャ国内では、地域の発展に歩調を合わせることが

この地域すべての国にとって利益であるという認識が強まっていった。
もし近隣諸国の進歩を手助けすることができれば、

この地域のリーダーになる可能性も出てきた。それまでギリシャは、

欧州連合がトルコに援助したり理解ある態度を取ったりすることに断固として反対してきたが、

それも引っ込めた。その結果、この地域の雰囲気は大きく変わった。
ギリシャとトルコは共にNATOの加盟国であるにもかかわらず、

ほんとうに局地戦争に突入するのではないかと恐れられたことがこれまで何度かあった。
だが新しい世紀に近づくにつれて、こうした恐れは消えていった。

 

ギリシャは、新たに民族主義に駆られて冒険しない限り、

西ヨーロッパの水準に向かって上昇していくにちがいない。
ギリシャ人は重い古代ギリシャの歴史の影に覆われて生きており、

子どもが生まれると神話に出てくる古い名前をつける。
そして自分たちの祖先が、すべての西洋文明の祖先だったことに思いを致しては、

震えるような喜びに浸るのだ。
だが、彼らは、五百年間も西洋文明から落伍していた。

このギャップはあまりにも大きいので、古代からの継続性がほんとうにあるとはいいがたいし、
古代の官能的な大理石と栄光ある神殿に囲まれた中で生き残った遺産が,

花開くことは望むべくもない。
このために誇りと屈辱の思いが同居し、悲嘆の激情と歓喜に満ちた生の祝福とが同居しているのだ。
ギリシャ人は、強烈に人生を生きている。だが、自信をもって生きているのではない。』

 

素晴らしい名文だと思いますが、この論評を読む限り、

ギリシャの自力再建は、非常に難しいと考えられます。

地図を見渡せば、ギリシャと陸で国境を接している国は、アルバニア・マケドニア・

ブルガリア・トルコでEUの主要国からは、かなり離れています。

ギリシャは、数世紀に渡ってトルコの支配下であった時期も含めて、

EU主要国で有ったような民主化の荒波を受けずに、現代に辿り着いてしまったと、

フローラ・ルイス女史は、書いています。

 

たとえ、自力再建が出来ない状態でも、もしアメリカの新金融工学の創世記(1980年代後半)

であったなら、その強烈な追い風によって、ギリシャは、今ほど困難な状態では

無かったかもしれません。しかし、現在では、残念な事に追い風は、吹いていません。

 

とすれば、やはり、なぜ?どうして?と言う疑問が浮かびます。

時間稼ぎをした後の、次の展望を、ヨーロッパの人びとが、現在示していないからです。

 

ヨーロッパの停滞は、目に見える形で、日本を含めて世界に波及しています。

停滞の時間が長いほど、その後の影響も長い事は、バブル後の日本が経験済みです。

 

近代では、常に世界のトップランナーであり続けたヨーロッパの人びとの経験と叡智が、

これ以上の損失を、食い止め、次の新たなる枠組みを提示してくれる・・・

それは、信じています。

 

ただ、できるだけ早くして欲しい・・・それを願っています。

               

              2012年2月5日 槻木記